2023年度各賞に関して,授賞者と授賞理由を報告いたします.

地球環境史学会各賞選考委員会 委員長 原田 尚美
審査委員 山本 正伸,吉森 正和,黒柳 あずみ,山口 耕生,大薮 幾美


地球環境史学会学会賞

阿部彩子(東京大学大気海洋研究所)


対象研究テーマ:

大循環モデルを活用した古気候-氷床変動メカニズムの解明

阿部彩子会員は,数値モデリング手法を用いて地球の気候や氷床の変動メカニズムの解明に関して多くの秀逸な成果をあげ,地球史形成の仕組みの理解に貢献してきた.特に,(1) 地球史の解明に重要な道具である氷床モデルIcIESを開発し,(2) これまでの常識では不可能と考えられてきた,短期間でも膨大な計算時間の必要な気候モデルと,長期間にわたる計算が不可欠な氷床・固体地球モデルとの間の相互作用を取り入れる計算方法を考案し,(3) 地質学的記録と見事なまでに一致する10万年周期や100万年前以前の4万年周期の氷期・間氷期サイクルのシミュレーションを成功させ,多数の数値実験や力学系の視点を導入してその機構を解明した.最近は,(4) 氷期のダンスガード・オシュガー振動について,現実的な氷床条件の下で,時間スケールも含めて観測との整合性の高い数値シミュレーションを成功させただけでなく,氷床融解水に対する大西洋子午面循環の応答が元の基本場に依存すること,大気海洋自励振動の出現やその時間スケールが地球の軌道要素などに依存する仕組みを明らかにした.これらの課題は地球史における重大な未解決問題を解決へと導く画期的な成果である.加えて,(5) 氷床や海洋のティッピング要素としての特性を含め,将来の気候変動予測に結びつく古気候や過去の氷床変動から得られる知見の提供は,地球環境史研究が実際に将来予測に資することを示し,科学コミュニティにおける地球環境史研究のプレゼンスを高めることにも貢献してきた.研究成果は国際誌231編,著書10冊,招待講演76件として公表された.

阿部彩子会員は,国内における古気候モデリング研究の第一人者としてコミュニティを牽引してきただけでなく,古気候モデリング相互比較プロジェクトや氷床モデル相互比較プロジェクトにおいて主導的立場として,また,気候変動に関する政府間パネルIPCC 評価報告書の執筆などを通じて,国際的にも長年に渡り当該分野を牽引してきた.阿部彩子会員の科学者としての評価は,日本学士院賞,欧州地球科学連合ミルティン・ミランコビッチメダル,猿橋賞などの受賞からも窺い知ることができるとおり国内的にも国際的にも非常に高いが,指導を受けてきた研究者や学生が数々の賞を受け,そうした人材の育成を通じた地球環境史研究への貢献もまた高い評価に値すると考える.

以上の理由により,阿部彩子会員を地球環境史学会賞受賞候補者を授与する.

(受賞決定日:2024年3月26日)


地球環境史学会貢献賞

山本彬友(海洋研究開発機構)


対象研究テーマ:

過去と将来の気候変動における海洋炭素・酸素循環のモデリング

山本彬友会員は,気候変動に伴う海洋物質循環の変化を,数値的手法を用いて幅広い時間スケールにわたって研究し,環境影響を考える上で重要な学術的知見を,地球史と関連付けながら産出してきた.

気候変動に対して海洋が応答する時間スケールは数千年と長く,海洋生物地球化学循環の理解は不足している.山本会員は近年の計算機の発展を活かし,気候モデルと海洋物質循環モデルを組み合わせた長期計算を世界に先駆けて実施し,海洋炭素・酸素循環の数十年から数万年スケールの変動に関する研究に取り組んできた.

温暖化に対する溶存酸素の変動については,数百年スケールで全球的に減少した後,深層水形成の強化に伴って回復し,むしろ初期よりも増加する可能性を示した.この温暖化に伴う溶存酸素の増加はモデルが先行して示した結果であるが,後に新生代の複数の温暖期におけるプロキシー研究から同様の事例が報告されており,古気候と将来予測の両研究領域において重要な知見となっている.また,暁新世-始新世温暖化極大で起きたとされるようなメタンハイドレートの崩壊では,海底から放出されたメタンが大気に到達することはなく,海水中で酸化されることで1万年スケールの貧酸素化を引き起こすことを示すなど,従来モデルでは扱われていないプロセスを考慮し,地質学的証拠から提案されている仮説の検証にも取り組んできた.

さらに,寒冷期の変動については,最終氷期における中深層の貧酸素化及び海洋炭素リザーバーの増加に対して,従来考慮されてきた深層循環の弱化に加え, 南大洋における氷河性ダストの沈着に伴う生物ポンプの強化の重要性を指摘した.この研究におけるダストの重要性にヒントを得て,人間活動に伴う海洋への栄養塩負荷が海洋環境に甚大な影響を与えうるという認識に至り,産業革命前から現在における海洋生物化学循環の変動に対する栄養塩負荷と気候変動の複合的影響を評価し,海洋基礎生産や炭素吸収,貧酸素化の変動に対する栄養塩負荷の影響が気候変動の影響に匹敵することを示した.

山本会員はIPCC報告書でも活用される地球システムモデルの開発やそれを用いた古気候実験と将来予測実験の実施にも貢献し,古気候モデリング相互比較プロジェクト(PMIP)などの国際共同研究にも数多く参加するなど,古気候・古環境研究から将来予測研究まで幅広い研究を展開してきた.研究成果は,IPCC第6次評価報告書に引用(主著3本,共著6本)されるなど,国際的にも高く評価されている.

以上の理由により,山本彬友会員を地球環境史学会貢献賞受賞候補者を授与する.

(受賞決定日:2024年3月26日)


地球環境史学会奨励賞

小長谷貴志(東京大学大気海洋研究所)


対象研究テーマ:

氷期と退氷期の気候-氷床融解ー海洋変動のモデリングによる研究

大陸氷床の融解による気候や海水準上昇,生態系,海洋深層循環などの急激な変化は社会に与える影響が大きく,変化の量と速度について確からしい定量的数値を示しながら予測することが重要な課題である.小長谷貴志会員はシミュレーションによるアプローチでこの課題に挑戦している.具体的には,地球史直近の氷期から現在の間氷期までの退氷期の温暖期の約1万年について,大気海洋大循環モデルMIROCを用いた退氷期の実験手法を設計し,グリーンランド・南極のアイスコアや種々の古海洋堆積物データなどと整合的な実験結果を示した.これまで退氷期は北半球の氷床が融解して北大西洋に流入するために深層循環を弱めると考えられてきたが,氷床融解量の変化がなくても,大気中温室効果ガスと日射によって生じる退氷期の温暖化に対する北大西洋海洋深層循環の非線形応答でベーリング・アレレード期の北大西洋海洋深層循環の急激な強化や気候変化が生じることを示した.この研究成果は短期間に多くの研究者に引用されていることから国内外のコミュニティに大きなインパクトを与えるものとなった.また,退氷期中に大きな北大西洋深層循環の変動がなかったと考えられる1つ前の退氷期との比較研究では,上記の成果で示した退氷期実験モデルを発展させ,北大西洋への淡水流入量を海水準から示唆される1.5倍程度変化させる気候モデル実験を行なった.その結果,直近の退氷期ではベーリング・アレレード期とヤンガードライアス期の急激な変化が得られるのに対して, 1つ前の退氷期は北大西洋深層循環の変動がないことを示す重要な成果を得た. 2つの退氷期の違いを北半球氷床モデルicIES実験結果を用いて解析した結果,地球の軌道離心率の違いが北半球氷床の融解速度に違いをもたらし,このことが2つの退氷期の振る舞いに違いを生み出す主要因であることを明らかにした.一方,南半球高緯度域についても研究を発展させている.南半球高緯度域の温度変化に着目して6か国の6つの気候モデルの結果を解析する共同研究を進めており,国際的にもネットワークを構築しながら研究を発展させている.以上のように,小長谷貴志会員は,新生代における退氷期の気候・大陸氷床・深層循環の間を結ぶメカニズムをモデルのアプローチから次々と明らかにする成果を挙げており,古気候・古海洋変動の実態解明に大きく貢献するとともに,異分野を含む若手研究者をリードする存在である.よって,小長谷貴志会員に地球環境史学会奨励賞の受賞に相応しいと考える.

(受賞決定日:2024年3月26日)


地球環境史学会奨励賞

松井浩紀(秋田大学)


対象研究テーマ:

浮遊性有孔虫および地球化学分析による新生代の古海洋変動復元

松井浩紀会員は,古環境指標としての浮遊性有孔虫に着目し,その群集組成や殻の同位体比組成を用いた,様々な時間スケールにおける古環境変動解析の研究に取り組んできた.浮遊性有孔虫は海洋表層に生息するプランクトンで,炭酸塩殻を持っており,生息当時の環境を群集組成や殻の化学組成に記録するため,環境指標として広く用いられている.松井会員は異なる水深に生息する有孔虫種に注目し,その同位体比値の差が当時の水温躍層の深度を反映することより,中新世赤道太平洋のラニーニャ・エルニーニョ的な水柱構造の復元や,漸進世の有孔虫種の生息水深の変遷とそれに関連する海洋構造の変動などを解明した.また九州パラオ海嶺のDSDP 296レガシーコアの浮遊性有孔虫生層序を見直すとともに,共同研究者による多様な層序記録を総合してコアの統合年代モデルを確立し,この地点が北西太平洋では極めて貴重な2000万年間の連続堆積物アーカイブであることを突き止めた.さらに,南大洋の古海洋研究における重大課題である海底コアの年代モデル構築に新たな切り口から取り組んだ.海底コアと南極氷床コアとの年代精密対比のために,南大洋の大西洋区や太平洋区の海底コアで利用されているダスト指標による両者の対比の有効性をインド洋区の海底コアで検討した結果,インド洋区ではダスト変動の地域性や火山砕屑物の混入などのローカルなバイアスを十分に考慮する必要があることを初めて明らかにし,南大洋の古海洋研究に一石を投じる成果を創出した.

国際深海科学掘削計画(IODP)の航海では,微古生物学者として乗船するとともに,白鳳丸やマリオン・デュフレンヌによる南大洋航海にも乗船し,海底コアや現生プランクトン試料の採取法を修得し,得られた試料の解析を積極的に進めている.科研費プロジェクトで組織された南極若手会の幹事も務め,若手勉強会を開催するなど,若手研究者や大学院生をまとめるリーダーシップも発揮している.そして,これらの活動を通して,アイスコア,気候モデル,海洋生物などの異分野の若手研究者と積極的に交流し,研究交流ネットワークのハブとしても活躍している.

以上のように,松井会員は,新生代における多様な時間スケールにおける古海洋変動の実態解明に大きく貢献するとともに,異分野を含む若手研究者をリードする存在である.よって,松井浩紀会員に地球環境史学会奨励賞を授与するに相応しい.

(受賞決定日:2024年3月26日)


地球環境史学会PEPS論文賞賞

梶田展人(弘前大学)


梶田展人会員によるPEPS掲載論文は,下総層群のアルケノン分析から,間氷期である海洋酸素同位体ステージ(MIS)5e,7e,9,11の海水温を初めて定量的に復元することに成功したものである.大宮台地南部で掘削採取された下総層群を貫いたGS-UR-1コアに含まれるバイオマーカーの分析により, MIS5e,7e,9,11に相当する海成層から,長鎖不飽和ケトン化合物(アルケノン)を検出した.顕微鏡による観察からは,海洋における主要なアルケノン生産種である円石藻Gephyrocapsa spp.が各層に含まれることを確認した.Gephyrocapsa spp.が合成するアルケノンの不飽和度は,海水温と線形関係があることが知られており,その関係式を用いて古水温の復元を行った.その結果,各層から検出されたアルケノン古水温は下位から上位に向かって寒冷化する傾向を示した.これは,各間氷期の最高海水準期から海退期にかけての温度変動を反映したものと考えられる.MIS5e, 7e, 9, 11における古東京湾の最高海水温は,産業革命以前の東京湾の海水温よりも2-3℃高くMIS1(完新世)の最温暖期と同程度であったと推定した.また, MIS9が他の間氷期に比べてやや温暖であったことを示唆した.本論文成果は,下総層群から当時の海水温を定量的に算出した初めての論文であり,関東地方の層序対比の研究の進展や,温暖化アナロジーとしての重要な情報として地球環境の理解に大きく貢献することから,PEPS論文賞を授与するに相応しい.

(受賞決定日:2024年3月26日)


地球環境史学会PEPS論文賞

加藤悠爾(筑波大学)


堆積物中に産出する微化石の地球化学分析を精度良く行うには,対象の微化石をタクサごとに必要量分取する必要がある.しかし,珪藻化石に関しては,その小さなサイズゆえにタクサごとの分離はこれまで実現されておらず,旧来の珪藻化石を対象とした地球化学分析は様々なタクサが混在した状態で行われているのが現状であった.多様なタクサが混在した試料での化学分析では,誤差が大きく含まれる結果しか得られないなど従来の研究の精度には限界があった.

加藤悠爾会員らによるPEPS掲載論文は,微生物学や細胞学などの分野で用いられてきた機器であるセルソーターを用いて,堆積物中の珪藻化石をタクサごとに取り出す新手法を提示したものである.新手法の完成によって,代表的な5つの分類群(Thalassiosira, Fragilariopsis, Rhizosolenia, Eucampia, Thalassiothrix)をそれぞれ高純度で選択的に分離することに成功し,従来の化学分析結果の精度や確度を飛躍的に改善する画期的な手法開発と言える.

当該PEPS論文による成果は,こうした障壁を取り除き,珪藻化石が多産する海域における古海洋学やその周辺分野の研究に大きく貢献するものである.以上のことから,本論文はPEPS論文賞受賞に値する.

(受賞決定日:2024年3月26日)


地球環境史学会名誉会員

川幡穂高(早稲田大学)


川幡穂高会員は,長きに渡って炭素循環を中心に現代の環境・気候変動の研究を行ない,この知見を古海洋・古気候学に応用して,優れた成果をあげてきた.①外洋堆積物の主な起源である沈降粒子について,北緯46度~南緯35度でセジメントトラップ観測を行い,沈降粒子の特性と海洋環境や気候との因果関係を明らかにした.この知見を古環境解析に応用し,堆積物から環境因子情報などを精度高く抽出する手法を開発した.その結果,風成塵の生物生産への役割はこれまで予想されたより小さいことを明らかにした.また,②炭素循環の中での石灰化生物の挙動を理解するため,精密飼育実験・現代の陸域水環境の調査・解析を行った.これらの知見を基に,大気中の二酸化炭素の増加に伴う将来の海洋酸性化への石灰化生物の応答を明らかにし,また過去においては白亜紀や暁新世/始新世(P/E)境界の地質試料から,当時の海洋酸性化を復元し,陸の風化が数十万年以上の緩やかなスピードなら中和機能として機能するが,急速な変化(現代およびP/E)では機能しないことを明らかにした.さらに最近では,③高時間解像度での環境・気候復元を通じて,ヒトの移動,日本社会や日本人の変遷と気候変動との関係を解明する研究を進めている.その成果を岩波書店「気候変動と『日本人』20万年史」として出版した.これまで査読付き国際誌に290編を超える論文を発表し,全引用数およびH-indexは14,404と62 (Google Scholar)となっている.

川幡穂高会員は,学会活動にも尽力し地球環境史学の発展に努めてきた.2012年の地球環境史学会創設を,コミュニティを結集して成就した.地球環境史学会の初代会長を務めたほか,日本地球化学会会長や日本地球惑星科学連合JpGUの会長を歴任した.国際プロジェクトであるIMAGES(国際全海洋変動研究)の日本代表を十年以上勤め,航海の実施体制を作るとともに,研究資金を提供し,日本近海でフランス船による傭船航海を複数回行なって日本の研究コミュニティの科学的レベルアップに貢献した.国際深海掘削計画IODPにおいて,国際委員を勤めるとともに,日本地球掘削科学コンソーシアムJ-DESC会長を勤め,発展に寄与した.このように川幡穂高会員は世界と日本の「PALEOの学問」に多大に貢献した科学者であり,ここに地球環境史学会名誉会員に任ずる.

(決定日:2024年3月26日)